遠野南部流鏑馬
遠野市松崎町白岩に伝わる南部流鏑馬。鎌倉の八幡宮に流鏑馬を奉納した例にならって、土地の鎮守櫛引八幡宮に流鏑馬を奉納したのが始まりと言われている。まず第一に「神前の儀」として、本殿にて保存会の代表が祭文を読み上げた後、次に「馬場浄めの儀」となり、神官を先頭にして馬場を行列で歩く。そして「馬場入りの儀」でそれぞれの役に着いて準備し、「本儀」すなわち流鏑馬を始める。
遠野南部流鏑馬
建武2(1335)年に遠野(根城)南部4代・師行が青森県八戸市の櫛引八幡宮に奉納したのが始まりと言われています。寛永4(1627)年、南部直栄は八戸から遠野に移封し、寛文元(1661)年に馬場を造り櫛引八幡宮と同様に流鏑馬を奉納しました。介添奉行が「よう射たりや」と連呼しながら射手の後を追うのが特徴で、全国的にも南部流鏑馬でしか見ることのできない貴重な作法です。